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高松地方裁判所 昭和61年(ワ)206号 判決

原告

河野辰次

右訴訟代理人弁護士

高村文敏

長岡麻寿恵

上条貞夫

小島成一

臼井満

重哲郎

被告

西日本放送株式会社

右代表者代表取締役

平井卓也

右訴訟代理人弁護士

近石勤

大下慶郎

清水謙

納谷廣美

鈴木銀治郎

右大下慶郎訴訟復代理人弁護士

西修一郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一〇二五万二八〇〇円を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、被告から、昭和三六年五月一日、社員として雇用され、主として運転手として勤務し、五五歳で定年に達した日の翌日の昭和五九年一月二一日、嘱託として期間一年の約定で雇用され、引き続き昭和六〇年一月二一日、嘱託として期間一年の約定で雇用されて、社員当時と同じ仕事に従事し、昭和六一年一月二〇日当時、月額二八万四八〇〇円の賃金の支払を受けていた。

2  ところで、被告の従業員で組織され、原告が加入していた西日本放送労働組合(以下単に「組合」ということがある。)との間で、被告は、昭和五七年一二月二一日、雇用の形態はともかく、六〇歳に達するまで雇用を継続することを合意した。

3  たとえ2の合意が認められないとしても、原告は、五七歳に達した昭和六一年一月当時、被告が、雇用の形態はともかく、六〇歳に達するまで雇用を継続するとの期待を持っていた。この期待は、次の事情から、十分法的保護に値するものであった。

(一) 年齢のみによる労働契約関係からの排除である定年制の不合理性は、従来から国際的にも問われてきたところであり、昭和五五年六月のILOの「中高年労働者に関する勧告」の採択等があり、定年延長は、先進諸外国のすう勢となっている。我が国においても、昭和四八年の第二次雇用対策基本計画において、政府が定年年齢を六〇歳とする目標を設定したのをはじめ、昭和五二年の国会の「定年延長の促進に関する決議」、六〇歳以上への定年延長を含めた雇用の延長に努める旨の昭和五四年八月一〇日の閣議決定(第四次雇用対策基本計画)、昭和五六年一月九日の雇用審議会答申等がなされ、昭和六一年には、中高年齢者等の雇用の安定等に関する法律が施行され、事業主は定年の定めをする場合には「定年が六〇歳を下回らないように努めるものとする」として、六〇歳定年制を事業主の努力義務として規定するに至っていた。このような状況の下で、昭和六一年には六〇歳定年制は公序を形成する状況になっていた。

(二) 被告と同業の民放各社においても、昭和五四年ころから次々と六〇歳までの定年延長又は定年後の再雇用による六〇歳までの雇用の延長が実施されていっており、原告の雇用が打ち切られた昭和六一年一月当時、六〇歳定年制は動かし難い常識となっていた。

(三) 組合は、昭和四〇年に雇用保障の最低年齢確保の観点から定年について被告と合意した。その合意の内容は、定年を五五歳に達したときとするが、その後二年間は無条件で再雇用され、その後も本人の意思を尊重して再雇用することがあるという弾力的なものであり、現に、五九歳あるいは六二歳まで雇用が継続された者もあった。組合は、前記(一)のような情勢のなかで、昭和五三年以降、重要課題として定年延長を取り上げ、被告も、昭和五四年一〇月の開局二六周年記念式典で、定年延長に積極的に取り組む姿勢を表明した。そして、被告と組合は、定年延長について団体交渉を重ね、被告は、その基本構想の提示を約束しながら何度も延期していたところ、昭和五七年一二月八日になって、「六〇歳定年の認識を持つ。」ことを表明し、同月二一日には、被告と組合は、「定年問題については六〇歳定年の認識に立ちその方法論を含めて継続審議とする。」との議事録確認を取り交すに至った。昭和五八年六月一五日にも、被告と組合は、書面を作成して、昭和五七年の議事録確認の精神を尊重して継続審議とする旨の再確認をした。

(四) 被告は、西日本放送労働組合の組合員であった西畑好男を五七歳に達した後六〇歳に達するまでアルバイト契約の名称で雇用を継続した。また、被告は、右組合員の平石静香を五七歳に達した後五九歳の時自己の意思で退職するまでエレクトリックエンジニア(EE)契約の名称で雇用を継続した。

以上の(一)ないし(四)の事情から、原告自身も、五七歳に達した後六〇歳に達するまで被告に雇用してもらえるものと期待したものであって、原告がそう期待したことには合理性があり、その期待的利益は法的保護に値するものである。

4  しかるに、被告は、原告が五七歳に達した日の翌日の昭和六一年一月二一日以降、原告を雇用することを拒否した。

5  その結果、原告は、昭和六一年一月二一日から六〇歳に達した平成元年一月二〇日までの三年間に得べかりし給与相当額一〇二五万二八〇〇円を失った。

よって、原告は、被告に対し、右期待権侵害の不法行為による損害賠償として、五七歳に達した日の翌日である昭和六一年一月二一日から原告が六〇歳に達した平成元年一月二〇日までの三年間の賃金相当損害金一〇二五万二八〇〇円の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実を否認する。もっとも、組合が被告の従業員で組織され、原告が加入していたことは、認める。

3  同3の事実は否認する。

原告にその雇用継続について法的保護に値するような期待権は成立していない。被告の取り扱いとして、六〇歳までの雇用継続が既成事実化していたような状況もなく、民放各社の定年も、昭和六〇年一二月の時点で五七歳以下の会社が六六パーセントを占めており、六〇歳までの雇用継続を期待する客観的状況は存しない。原告が六〇歳までの雇用継続を期待していたとしても、それは一方的な思い込みにすぎない。

4  同4の事実は認める。

5  同5の事実は否認する。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

二  請求原因2について

請求原因2の事実にそう(人証略)は、(人証略)に照らして措信することができず、他の右事実を認めるに足りる証拠はない。

三  請求原因3について

1  (証拠略)を総合すると、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  被告は、昭和二八年七月二九日に設立された民間放送事業を目的とする株式会社である。原告は、昭和四年一月二〇日生まれの男子で、昭和三六年五月一日、被告に社員として雇用され、運転手として稼動していた者である。原告は、昭和三七年四月に、被告の従業員で組織される西日本放送労働組合が結成されると同時に、これに加入した。

(二)  定年について、組合結成当時、被告とその従業員との間に何らの合意もなく、また就業規則の定めもなかった。それで、組合は、雇用の安定を求めるため、定年問題について被告と団体交渉を持った。組合は、当初より、厚生年金支給開始年齢の関係等から六〇歳定年制を主張した。これに対し、被告は、五五歳定年を主張した。昭和四〇年五月一日に至って、被告と組合は、「停年は五五歳とする。停年退職後、本人の能力、意欲、健康状態を勘案し、二年契約の嘱託として再雇傭することがある。」とすることを合意し、それを記載した同年四月三〇日付協定書(〈証拠略〉)に調印し、これが同年四月から適用されることになった。右労働協約成立後、五五歳の定年に達した従業員で再雇用を希望した者は、いずれも一年ごとの更新で嘱託として五七歳に達するまで雇用された。

(三)  ところで、被告と組合とは、組合員に対する被告の懲戒処分問題等が、長年の懸案となっていたところ、昭和五三年五月二六日に和解によって解決を見るに至り、折から、同年八月一〇日には組合員の西畑好男が五五歳の定年に達することもあって、組合は、本格的に六〇歳定年制の実現に向けて活動をすることにした。そのころ、政府や国会等においても、定年延長に向けての動きがあり、昭和五四年八月一〇日に閣議決定をみた第四次雇用対策基本計画では、企業の実情に応じつつ六〇歳以上への定年延長を含めた雇用の延長に努めることが示され、被告と同業の民放各社でも、昭和五四年ころから、六〇歳定年制あるいは六〇歳までの雇用保障を制度化する動きが現れ始めていた。このような社会情勢のなかで、昭和五四年一〇月の創立二六周年記念式典で、被告の代表者は、従業員の高齢化に対する会社の基本構想の策定を急がせる旨を表明した。同年一二月五日被告代表者と組合執行委員長は、「定年延長に関する問題については調査、研究し、会社の基本構想を組合に提示する。」との覚書(〈証拠略〉)を作成した。

(四)  組合は、昭和五五年三月四日には、定年を六〇歳に達した年の年度末にするようにとの要求書(〈証拠略〉)を提出するとともに、すでに五五歳の定年に達して嘱託として稼動中の組合員西畑好男(大正一二年八月一〇日生)と西畑房子(大正一三年三月一三日生)の雇用延長を求めた。これに対し、被告は、同月一八日の団体交渉の際、定年問題の基本構想を示す時期を今春闘中に明らかにすると回答したが、西畑両名の雇用延長問題については、検討はするが、難しいとの対応しか示さなかった。そして、同年四月二八日の団体交渉において、被告は、組合に対し、昭和五六年一月までに定年問題について会社の基本構想を示すことを約した。西畑好男は、昭和五五年八月一〇日に五七歳に達し、嘱託期間が終了した。右西畑は、雇用の継続を希望したが、被告は以後の雇用を拒否した。組合が被告と交渉した結果、被告は、昭和五五年一〇月六日に至って、アルバイトとして雇用することを承諾し、右西畑との間で、始期を八月一一日とする、期間一年のアルバイト契約の締結に応じた。

(五)  組合は、昭和五五年一〇月三一日にも被告に要求書(〈証拠略〉)を提出して、六〇歳の年度末までの定年延長や、昭和五六年一月に基本構想を示すという被告の約束の順守、組合員西畑房子の五七歳に達した後の雇用の保障等を求めた。しかし、被告と西畑房子との雇用契約は、昭和五六年三月一三日の経過により終了し、以後被告と西畑房子との間で労働契約は締結されなかった。西畑好男の前記(四)のアルバイト契約は、昭和五六年八月一一日に契約期間が満了した。被告は、以降の再契約を拒否したが、組合が被告と交渉した結果、同年一〇月一日に至り、被告は、西畑好男との間で、同日から一年間のアルバイト契約の締結に応じた。

(六)  ところで、昭和五五年、ILOで「中高年労働者に関する勧告」が採択されたのを受けて、わが国でも六〇歳定年制への要請が更に高まり、また、昭和五六年一月一九日の雇用審議会答申第一六号においても定年延長が社会的要請であるとの指摘がされた。そして、民放各社も、六〇歳定年あるいは定年後の再雇用による六〇歳までの雇用の延長を採用する会社が毎年数社ずつ現れていた。しかし、被告においては、昭和五六年一月を過ぎても、定年問題に関する基本構想は組合に示されなかった。そこで組合は、昭和五七年九月九日、被告に提出した要求書(〈証拠略〉)において、六〇歳の年度末定年制とともに、基本構想発表の速やかな履行を求め、また、西畑好男の雇用の継続をも要求した。そして、西畑好男の前記(五)のアルバイト契約は、昭和五七年九月三〇日に期間が満了したため、組合が被告と交渉を持った結果、同年一二月一日、被告は、西畑好男との間で、始期を同年一〇月一日、終期を昭和五八年三月三一日とするアルバイト契約の締結に応じた。

(七)  組合は、昭和五七年一一月一日及び同月一二日被告に提出した要求書(〈証拠略〉)において、六〇歳の年度末定年制の実現、昭和五六年一月までに基本構想を示すという会社側の約束の昭和五八年四月一日までの履行、開局三〇周年に当たる昭和五八年一〇月一日からの六〇歳定年制の実施等を求めたほか、五五歳の定年に達して嘱託として稼働していた組合員平石静香(大正一五年六月一〇日生)の雇用契約が昭和五八年六月一〇日に終了することから、右契約の更新を求めた。また、組合は、昭和五七年一二月八日の被告との団体交渉において、組合員の神内達夫(昭和三年七月八日生)が五五歳に達する昭和五八年七月までに定年延長を実施するよう要求したが、被告は、現時点では無理であるとの回答をした。そして、同月一七日及び二〇日の予備折衝を経て、同月二一日の予備折衝において、被告の人事部長と組合の書記長との間で、「定年問題については六〇歳定年の認識にたちその方法論を含めて継続審議とする。」ことが確認され、それを記載した書面(〈証拠略〉)が作成された。

(八)  西畑好男の前記(六)のアルバイト契約は、昭和五八年三月三一日、約定期間が満了したところ、被告は、昭和五八年四月一日付けで、右西畑との間で、同人が六〇歳に達する同年八月一〇日までのアルバイト契約を締結した。また、被告は、昭和五八年六月一日に嘱託としての期間が満了した平石静香との間で、期間を同年七月一一日から五九年七月一〇日までの一二か月間、職務名称をエレクトリックエンジニア(EE)、職務内容を総務局管理部における業務とする雇用契約(以下「EE契約」という。)を締結した。しかし、定年問題に関する被告の基本構想は、組合の要求した昭和五八年四月を経過しても示されず、昭和五八年六月一五日、被告の人事部長と組合の書記長との間で、「組合の定年延長実施の要求については、現在労使間の重要な課題である事を認識し昭和五七年一二月二一日付議事録確認の精神を尊重して継続審議とする。」ことが再確認され、それを記載した書面(〈証拠略〉)が作成されるにとどまった。ところで、昭和五八年一〇月一四日閣議決定された第五次雇用対策基本計画では、高齢化社会の進展に対応して六〇歳定年が一般化するよう定年延長の積極的推進が指摘された。

(九)  原告は、昭和五九年一月二〇日、満五五歳に達して定年退職となったが、被告から、翌二一日、嘱託として期間一年の定めで再雇用され、右期間満了日の翌日の昭和六〇年一月二一日、更に嘱託として期間一年の定めで再雇用された。

(一〇)  ところで、昭和六〇年五月一六日、被告は、組合に対し、前記(二)の定年後の再雇用制度と選択できるものとして、新たな雇用延長制度を提示し、同年四月一日にさかのぼって実施すると通知した。これは、昭和六〇年度以降に五五歳に達する者について、雇用期間を、〈1〉昭和六〇年度に五五歳に達する者は満五八歳到達日まで、〈2〉昭和六一年度に五五歳に達する者は満五九歳到達日まで、〈3〉昭和六二年度以降に五五歳に達する者は満六〇歳到達日まで延長しようとするものであるが、前記(二)の再雇用制度と比べ、賃金等の諸条件で劣るものであった。組合は、この新制度は、従来の労使の交渉経過に反するものとして反発した。なお、原告には、この新制度の選択の余地はなかった。

(一一)  平石静香の前記(八)のEE契約は、昭和五九年七月一〇日、約定の期間が満了し、翌一一日、被告は、平石との間で、更に期間一年の定めでEE契約を締結したが、この契約は、昭和六〇年七月一〇日の経過で終了し、以後、被告と平石との間で、労働契約の締結はされなかった。組合員の神内達夫は、五五歳の定年後嘱託として再雇用されていたが、昭和六〇年七月八日に五七歳に達してその契約期間が満了し、以後、被告と神内との間で、労働契約の締結はされなかった。原告と被告との間の前記(九)の雇用契約は、原告が五七歳に達した昭和六一年一月二〇日に契約期間が満了し、以後、原告と被告との間で労働契約の締結はされなかった。

(一二)  民放各社で六〇歳定年制を採用した会社は、昭和五七年末までで、一二一社中一五社、昭和六〇年一二月当時で、一三六社中三一社であった。

2  以上の事実が認められるが、右認定の社会的情勢、同業他社の状況、被告と組合との交渉経過、定年後の従業員の具体的な雇用状況等の下では、たとえ原告が五七歳に達した後六〇歳に達するまで被告に雇用してもらえると期待していたとしても、その期待を、法的保護に値するものと肯認することはとうていできず、事実上の希望的な期待にとどまるといわざるを得ない。

四  そうすると、原告の請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担について民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡邊貢 裁判官 石井忠雄 裁判官 青木亮)

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